僕がお遍路回り始めたのには意味があった!
四国霊場開創1200年となった今年 僕はそんなことも知らずに善通寺に妻とお参りしていた。
お参りしたのは、ちょうど開創1200年祭を善通寺でしていた当日だった。
今思えばそんな日に偶然に善通寺に行っている事自体が偶然ではない出来事だった。
僕はその祭事を目の当たりにして「今年お遍路を回ろう!」と思ったのです。
以前8年前 僕は1度お遍路参りをしている。
今回2回目。突如思いついたけどなんかお遍路参りしなければ行けない感じがあった。
後々わかるのですが、実は僕がお遍路を回り始めたのは偶然ではない理由があったのです。
女性のお坊さんの坐骨神経痛の治療
当院は札所の大興寺の近所にある整体院。
大興寺からは車で1分程度のところにある。
ちょうどその頃当院に善通寺にお努めの事務員さんが通っていた。
その方が当院にある女性を紹介してくださいました。
その方というのは、善通寺市の善光寺という真言宗お寺の女性の住職 村上妙祥さんだった。
その方は現在善通寺でお努めだった。
妙祥さんは股関節が悪く、杖をついているような状態。酷い坐骨神経痛でした。
すでにそのころ僕はお休みを利用してお遍路をまわっていた。
真言宗のお寺の方が来られるということで、色んな話が出来るとおもってワクワクしていた。
時期は夏真っ盛りの時だった。
僕は今まさにお遍路をしていていろいろなあることをその方に来られるたびに色んなお話していた。
僕の知らないことを沢山話してくださっていろいろ勉強になった。
実は途中からこの方とお遍路回ることになるのだ
この方とお遍路をまわるきっかけになったのは、今から24年も前にさかのぼります。
妙祥さんもともとお寺の家系ではない
妙祥さんは実はもともと一般の方で、妙祥さんの実の母の御百度参りに善通寺に言った際、善光寺の元住職 善照さんが、やさしいお声をかけてくださったそうです。
何度か善通寺に足を運んでいるウチに、親しくなり元住職の善照さんのお寺 善光寺に足を運ぶ様になったそうです。
そこである時はじめてお会いするある女性に、「あなたは、このお寺(善光寺)に入る運命なのよ」と言われたそうです。その後元住職 村上善照さんの養子に入りお寺でお勤めすることとなるのです。
その女性の方とは、広島にお住まいだった砂本先生と言われる方でした。
善光寺の住職と砂本先生の出会い
善光寺の元住職の善照さんは善通寺にお勤めでした。(善光寺にお住いで、お勤めは善通寺)がある時お勤めの善通寺で、買い物を済ませたお遍路さんの後ろ姿に「お疲れ様です。気をつけてお参りください」と声をかけたそうです。
そのお遍路さんは今まで沢山お遍路をまわっていたが、あなたのように後ろ姿にまでお声をかけてくださる方は、今までになかったと大変感動されたそうです。
実はそのお遍路さんが砂本信光先生だったのです。
その事がきっかけで砂本先生と善照さんのお付き合いがはじまったそうです。
砂本先生が四国お遍路を回る時は必ず善光寺に一度立ち寄り、朝ごはんを食べてから霊山寺に向かうということをされていたそうで、善照さんとはかなり親しいおつきあいをなされていたようです。
砂本先生は、少し特別なお力をもたれた方で、多くの方の病気や苦難を解決なされていたそうです。(砂本先生は感謝で頂いたお金をすべてお大師様のために使われていたそうで、僕も実際沢山見たのですが、四国霊場八十八ヶ所ほとんどのお寺の賽銭箱や納め札の入れ物を寄付されていて 【広島 砂本大師】と書かれています)
お大師像をもってまわってほしい
ある時、砂本先生がお大師様のお告げで、善光寺に大師堂を立てるようにと言われたそうで、善光寺に大師堂を建立されたそうです。
その建立の際、砂本先生がまつっておられたお大師像を善光寺に収められたそうです。
砂本先生は、「私は90歳を過ぎては生きていけないので、私が亡くなったら このお大師像をもって四国八十八ヶ所を回ってほしい」と 二人に告げたそうです。
大師堂が建ってすぐ砂本先生はなくなられ、妙祥さんと善照さんと二人で背中にお大師像を背負って四国八十八ヶ所まわり始めました。
道半ばで死去
お父さんは高齢でなかなかお遍路参りも思った様には進まず、とうとう7年前(これを書いているのが2014年)に結願出来ずに亡くなってしまいました。
妙祥さんは善照さんが善通寺のお勤めをやめて以来代わりに善通寺にお勤めということもありなかなかお遍路周りも出来ずにいました。
お遍路を回りはじめて24年間 お大師像は結願出来ずにいたのでした。
偶然ではない瞬間
話は戻って現在。僕もお遍路回っているということで、いろいろなお話を聞かせてもらっているなかで、随分昔からお遍路参りも途中で止まっていることを伺った。
先程のお話を実際に聞いたのでした。
「どこまでまわっているのですか?」
「納経帳をみてみないとわからないのでまた持ってきますね」
そういって妙祥さんは次に来られた時に納経帳を持ってこられた。
善照さんの手作りの納経帳だった。
日付は24年前から止まったままでした。
どこまでお遍路していたかとみると愛媛県松山市の51番石手寺まで回っているとのこと。
あの時僕は鳥肌がたち非常に驚いたのを覚えています。
僕は、53番円明寺まで回っている状態。なんと2カ寺しか変らなかったのです。
これは偶然ではない!その時もそう思いました。
砂本先生から託されたお大師像の話や素晴らしい善照さんのお話を聞かせて頂いていたので、僕は何か運命の様な物を感じ、僕が一緒にお連れして、お大師像も背中に背負って一緒にお参りしましょうと伝えました。
24年かかって満願
足が悪いので、ドンドン回ることは出来ませんしたが何日か かけて8月末に一緒に結願することが出来ました。
僕自身このような貴重体験でこのような形でお遍路を回れたことを本当に感謝します。
妙祥さんが足が悪くなっていなかったら僕と出会ってなくて結願出来ていなかったかも知れないともおっしゃっていました。
砂本先生から託された思い、お父さんの結願出来なかった未練の思い・・・・妙祥さんが足が悪くなった事、偶然に僕が善通寺にお参りしたこと、お遍路周りをしようと思ったこと、お遍路参りをしている僕の治療院にきたのは全て偶然ではないずっと前から決まっていたこと。
後日談ですが、砂本先生は生きている時に87回お遍路を回られたそうです。
砂本先生が託したお大師像が今回結願したことで、計88回お遍路を回ったことになるそうです。本当にびっくりです。
夏の熱い日結願した88番札所の大窪寺で、僕と妙祥さんはテレビの取材を受けていました。
ぜひご覧ください。
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